2012年8月25日 (土)

旧三菱金属鉱業中央研究所 その後

さいたま市大宮区北袋町にあった、旧三菱金属鉱業(三菱マテリアル)中央研究所は、結局解体されてしまった。
北区宮原町にあった、旧中島飛行機(富士重工)大宮製作所の大煙突も解体され、旧大宮市内の近代化遺産の多くが消滅してしまった。


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2010年11月10日 (水)

大宮の近代建築 旧三菱金属鉱業中央研究所

さいたま市大宮区北袋町1丁目、さいたま新都心駅前にある、旧三菱金属鉱業中央研究所、現在の三菱マテリアル大宮総合整備センターの建物は、昭和13年建造で、大宮を代表する近代建築である。中央研究所は昭和14年に品川から移転してきたという。現在構内全体を整備中だが、この建物は解体の予定はないというが、ぜひ保存し、一般公開していただきたい。

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2010年11月 8日 (月)

田舟

さいたま市見沼区大和田町1丁目の細沼(弥次右衛門)家に、かつて見沼田圃で使用された田舟が保存されている。大宮開成高校付近に田を所有していて、そこで収穫された稲などを芝川を使って運んだという。上る時は2人掛かりで、1人は舟の綱を持って土手を引っ張て走ったという。
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長さ約6.7mとかなり大きい。長屋門に吊してある。

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「免税」の焼印が押してある。

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2010年10月19日 (火)

大和田 鉄道引込線

10月17日に行われた、さいたま市みどりの祭典で、まちづくり市民ネットワーク・さいたまという団体から、昭和21年2月に米軍が撮影した航空写真をいただいた。
下の写真は、現在のさいたま市見沼区大和田町2丁目の、東武野田線大和田駅北側の部分だが、太平洋戦争中、米軍から国鉄の機関車を隠すため 、大和田駅から引込線を敷き、雑木林の中に隠したその線路跡がきれいに写っている。
左上に写っているのが大砂土東小学校で、70代の方は通学途中に線路があったのを記憶しているという。

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画面上部の斜線は説明用に団体が引いた線で関係ない。
斜線の下附近で線路が放射状に敷かれている。

画面下の○印が大和田駅。そこからカーブして上部(北)に線路が敷かれている。

米軍から機関車隠すための線路の跡を、戦後米軍
が撮った写真で確認するのはなんともいえない気がする。

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2010年10月17日 (日)

防風用土塁

見沼周辺の台地上には、防風林に囲まれた家もまだ点在しているが、防風用の土塁に囲まれた家も何軒か残っている。
大和田の陣屋跡といわれている所に2軒(実は陣屋跡ではないと思われる)、土呂に2軒確認している。
その1軒、「どうろくじん(道陸神)」という屋号で呼ばれている家は、長屋門風の倉庫のある立派な家だが、西側と北側の一部にきれいに土塁が残っている。
土塁上に生えた木が倒れると危ないというので、現在木を伐採しているが、土塁も一部取り除くようである。まことに残念であるが、住んでいる方の立場にたつとやむを得ないのかもしれない。

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 北側と西側のコーナー(内側からの写真)

 写真は平成22年10月17日撮影

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2009年12月11日 (金)

大湯祭

12月10日は、大宮氷川神社の大湯祭でした。
大湯祭は、古くは「御火祭り」「火剣祭」といい、神橋の手前東側にあった本地堂(観音堂)東の芝地で火渡りを行い、火王子社殿前で釜湯の神事探湯(くがたち)を行っていたそうです。これは釜に湯を沸騰させ、笹を湯につけ、それを振り掛けて清めをおこなうものです。それで大湯祭というようになったそうです。
延宝4年(1676)、門客人社を奉斎していた氷川内記が上京して神祇伯吉田家にはかり、これを清祓いに替えたそうです。
現在は、宗像神社前で商売繁盛、五穀豊穣等を祈願し、大己貴命(大国様)と少彦名命(恵比寿様)の福神姿の御神札、福熊手、福種銭を授与されるので、大国市ともいいます。
また、大宮はもともと五・十日に市がたっていましたが、十日市(とおかまち)と一体となり、熊手、神棚、駄菓子屋等が参道だけでなく周辺の道路にも並び、大変賑わっています。

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Daikokuw   Ebisuw

Hukukumade

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賽銭をお祓いした金に替えてもらい商売の元金としたもの。

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2008年10月21日 (火)

氷川神社朔瓶祭

武蔵一宮氷川神社朔瓶祭が10月21日に行われた。
古くは9月、10月、11月の朔日(1日)に、瓶(かめ)に入れた酒をお供えした行事のようだが、現在は10月21日に、幣殿に置いた台上に、濁酒と煮付けた里芋と山東菜をお供えしている。また、摂社・末社にも濁酒をお供えしている。

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         摂社宗像神社

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         末社松尾神社

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2008年10月20日 (月)

御影堂(栗原堂)

さいたま市大宮区の大栄橋東詰、中山道交差点近くに御影堂あるいは栗原堂といわれている堂がある。寛永年間に栗原治右衛門保逢が開いたという。
釈迦如来が祀られている。
保逢の子孫は代々助左衛門を名乗り、大宮宿の脇本陣を務めていた。
御影堂というのは、保逢と妻惠留の像が安置されているからであろう。
栗原助左衛門家の墓地となっている。
昭和17年3月に曹洞宗東光寺持となり、他家の墓地もある。
五十嵐謙順師が守っておられる。謙順師は曹洞宗梅花流詠賛歌(御詠歌、和賛)の発展普及に尽力されている。
この御影堂は普段は閉まっているが、10月5日に行われた大宮郷土史研究会見学会で内部を見せていただいた。

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             御影堂

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           御影堂内部  

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          本尊釈迦如来坐像

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      栗原保逢像(右)、妻惠留像(左)

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        栗原助左衛門家位牌

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    栗原治右衛門保逢と妻惠留墓石
    保逢は寛永11年5月13日没
    惠留は寛永9年10月29日没
   (位牌では保逢は9月13日となっている)

 

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2008年7月20日 (日)

土呂・八雲神社祭礼

7月19日には各地で祭礼が行われた。
本来7月15日に行われていたものを、土曜日に移したものであろう。

さいたま市北区土呂町の八雲神社の祭礼も行われた。
普段は見られない幟が建てられた。

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「祇園御祭禮」とあり、下部には、

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  「文政九年丙戌夏六月(1826)
   陶齊呂省吾薫沐拜書」とある。
  野田市野田・愛宕神社にある文政11年の芭蕉碑も、この陶齊呂省吾の書だそうである。

  私が行った時は、神輿と雌獅子の頭は町内渡御中で無かったが、雄獅子の頭は祀ってあった。

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2007年12月 1日 (土)

伏鉦

さいたま市北区日進町3丁目(旧西谷村)の阿弥陀堂に伏鉦(ふせがね)と撞木が保存されている。

  伏鉦
   銅製
   高さ9.6㎝、上縁径20.8㎝、下縁径24.0㎝
   三本の足が付いている。
   下縁裏側に次の陰刻がある。
    武刕足立郡大谷領西谷村
    安永七戊戌年(1778)
    西村作

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