2008年8月28日 (木)

鳩ヶ谷・船津家

川口から日光御成道を上り、鳩ヶ谷台地への坂を上がった所に洋館がある。
昭和7年建設という旧船津眼科医院の建物である。かなり以前から診療は行っていない。
内部を見せてもらった。

 0808027_003
       旧 船津眼科医院外観

 0808027_009
           待合室

 0808027_010
           診療室

 0808027_012
         2階への階段

 0808027_011
            病室

 Yokoyamataikan
   「法眼長輝」大観酤古とある。横山大観か。
   (船津家のために書かれたように思える)

建立当時の面影を良く残している。昭和初年、鳩ヶ谷では洋館がいくつか建てられ、街の景観が大きく変った。当時の洋館はほとんど残っておらず、歴史的建造物として、保存が望まれる。
すぐ前には、不二道の開祖・小谷三志の末裔がやっている、うなぎ割烹湊家がある。

 0808027_004
  Minatoya_hashiire_2

鳩ヶ谷は近年まで鉄道が通っておらず、そのため日光御成道の雰囲気がよく残っている。

  0808027_006
         北西本店(酒屋)
      

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年8月 4日 (月)

氷川神社幟

神社の幟は祭礼等の時しか見られない。
氷川神社では8月1日、2日に掲げられた。

 080802_012

 向って右側の幟には、
 「武蔵國一宮 昭和三十七年八月 吉敷氏子中」とある。 

 080802_015

 左側の幟には、
 「武蔵國一宮 氷川神社宮司 東角井光臣謹書」
 印は「部物」「臣光」である。(「物部」「光臣」) 

 080802_031

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年8月 3日 (日)

氷川神社神幸祭

武蔵一宮氷川神社では、8月1日の例大祭に続き、8月2日に神幸祭が行われた。
午後3時、本殿で神霊を神輿に遷し渡御

  080802_048

  080802_054
  輿丁(担ぎ手)は、旧神領地と忌垣(いがき)の
  内の大成、東大成、上落合、新開、土手、
  堀の内の6町内氏子と氏子青年団の人々。

  神池の水で清めた神橋に神輿を安置し橋上
  祭を執行

  080802_065

  宮司が神輿の扉を開け、神饌を供す。

  080802_076
  神饌は、小麦飯三台、直酒・塩・水、餅、鱚(きす)、
  鯉、鶏、海菜、野菜、果物、それに6町内から
  奉納の餅大小一組六台
  *直酒(なおし)は焼酎に味醂を混ぜた酒  

  宮司が祝詞を奏上し、神楽を奏す。

  080802_079

  玉串を奉って拝礼、宮司神輿の扉を閉じる。
  直会(なおらい・忌を解き、通常の状態に直す
  ため神職と参列員が直酒と小麦飯を戴く)の
  後、三の鳥居の内側、神池の東を周り本殿
  に還幸。

  080802_083

  080802_090

  神輿から本殿への遷霊の儀が行われ、この
  間は拝殿の扉は閉められている。

  080802_096

 この解説は氷川神社発行の神幸祭の資料を
 基にした。

     

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月15日 (火)

山本 信小品展

7月8日~13日まで、大宮のギャラリーぜフィールで、友人の山本 信小品展が開かれた。

  080708

  080708_2 

  080710_008

  080710_001_2 

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月21日 (水)

高野長英寄贈の皿

さいたま市北区土呂町の小島家に、高野長英から寄贈されたという陶器椀2点、陶器皿1点、ガラス皿2点がある。
高野長英は天保10年(1839)蛮社の獄で投獄されたが、15年(1844)脱獄、以後各地を潜行しつつ活動を続けた。土呂村の名主であり、先進的な思想の持主であった小島家には片柳の漢方医井上家からの紹介で訪れ、しばし滞在したという。

             071111019p   

             071111021p

             071111032

             071111027p 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月10日 (月)

瞽女唄公演

以前、この欄で紹介したことがありますが、正式チラシをいただきましたので、再度紹介します。

最後の瞽女といわれた小林ハルさんが2年前に亡くなりました。今はわずかに数名の方が伝承しているに過ぎません。
東京で瞽女唄を聞く機会はほとんどありませんでしたが、この度、小林ハルさんの弟子である、萱森直子さんが唄ってくださることになりました。萱森さんは「最もごぜ唄らしいごぜ唄を唄う」と高い評価を受けておられる方です。

題して「瞽女唄が聞こえる」
12月14日(金)19:00
12月15日(土)14:00、18:00
12月16日(日)14:00
ブローダーハウス(京王井の頭線東松原駅下車1分)
全席自由・予約制 2500円 予約受付 9月1日から

予約受付 ブローダーハウス 電話03-3324-0919
又は予約フォーム  http://blog-eda.net/gozeuta/
       E-Mail        gozeuta@blog-eda.net

詳しくは、上記ホームページへ。

Photo

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月 1日 (土)

篠崎堅太郎川柳碑

さいたま市北区見沼2丁目の、見沼代用水喜の助橋たもとに篠崎堅太郎川柳碑がある。

  淋しいか
   野火を
  ちぎって
    きた男
     堅太郎

  平成三年十一月吉日
     埼玉川柳社

  070901_038

  070901_039

  070901_042

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月12日 (日)

諏訪大社大祝家・神長家墓地

茅野市宮川高部の千代の宮墓地に、諏訪大社大祝諏訪家の墓地がある。
諏訪頼広が分家して諏訪大社大祝職に就き宮田渡に居住、この地に墓地を求めたので、守矢家の墓地であった千代の宮墓地を提供した。諏訪頼○という墓石が多数ある。

  070801_084

神長守矢家は熊野堂墓地に移転した。熊野堂墓地には慶安3年からの代々の墓石がある。

  070801_091

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月11日 (土)

守矢家 祈祷殿

守矢家屋敷内に祈祷殿という建物がある。元は屋敷の東側にあったが、現在はかつて精進屋という建物があった西側に移っている。
解説板によると、守矢頼真が長坂筑後守に出した書状の中に、「殊更壬寅九月廿四日ニ御願書御越候 神長一人にて終夜御祈誓申候處其儘御祈祷相叶候」と記されている。これは神長守矢頼真が天文11年(1542)9月24日に、武田晴信(信玄)のために祈祷殿に籠って高遠頼継の率いる高遠勢の調伏を行ったことを伝えており、このように神長が祈祷殿に籠って祈祷調伏した記録は多数残されているとのことである。

  070801_062

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月10日 (金)

諏訪大社御頭祭

守矢史料館解説によると、諏訪大社祭祀の中心をなしたのが、神長官守矢氏が司った、前宮十間廊(まえみやじっけんろう)で行われた御頭祭(おんとうさい、現、酉の祭)で、春先神前に75頭の鹿をはじめ、魚、鳥、獣の肉を山のように盛り上げ、酒を献じ、かがり火に照らされながら神(ミシャグチ神)と人が一体となって饗宴を催したという。
守矢史料館には、天明4(1784)年3月6日に御頭祭を見聞した菅江真澄のスケッチをもとに、御頭祭の様子の一部を復元展示している。

  070801_075

  070801_070
           耳裂鹿

  070801_069
    兎の串刺しと焼皮

  070801_073
       御贄柱

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧