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2007年8月21日 (火)

三分一湧水

山梨県北杜市長坂町小荒間にある。
八ヶ岳南麓には沢山の湧水があるが、三分一湧水は標高1035mのところにあり、湧水量も多い。
三分一湧水というのは、この湧水が三方向に三分一ずつ分水されるからである。
東の水路は旧白井沢村へ、中の水路は旧長坂上条村・長坂下条村・渋沢村へ、西の水路は旧大井ヶ森村・日野村へと流され、灌漑用水として利用されてきた。江戸初期以前から利用されていたのは確実である。
八ヶ岳南麓は、豪雨があると「押ん出し」(おんだし)とよばれる山崩れがしばしば起り、その度に村々共同で湧水池、分水場、水路を修復してきた。公平に分水するためにはかなり工夫が必要であった。
昭和18年の押ん出し後に造ったのが現在の分水場である。
分水場の中央手前に三角状の立石があるが、これで分量を微妙に調整しているようである。

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        湧水

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手前から流れ出、写真上方で三方に分水

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    逆方向からの写真

   

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2007年8月19日 (日)

清春芸術村

山梨県北杜市長坂町に、清春芸術村がある。廃校となった清春小学校の跡地に、銀座・吉井画廊の吉井長三氏が建設したもので、清春白樺美術館、ルオー礼拝堂、梅原龍三郎記念室、アトリエ・ラ・リューシュ、白樺図書館などの施設があり、総合芸術村となっている。
吉井氏は広島県尾道市の出身で、尾道といえば志賀直哉や武者小路実篤ら白樺派の人たちと縁の深い土地であり、吉井氏は白樺派の方々を敬愛していた。その白樺派の作家たちが建設しようとして果たせなかった夢を吉井氏が実現したのが清春白樺美術館である。白樺派の作家の作品と吉井氏が傾倒しているジョルジュ・ルオーの作品などを所蔵・展示している。

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      梅原龍三郎書

ラ・リューシュの原型はギュスターフ・エッフェルが設計した、1900年パリ万博のワインバビリオンで、この建物は後にモンパルナスに移築されアトリエに改装され、ラ・リュース(蜂の巣)と呼ばれた。シャガール、スーチン、モジリアニなど多くの作家がここで育った。この建物を清春に再現し、若者たちに創作活動の場を提供しようとしたのがこの清春芸術村のラ・リューシュである。会員になれば誰でも利用できる。

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そのギュスターフ・エッフェルが設計し、1889年に完成したエッフェル塔は、塔の高さ300m、上部180mはらせん階段になっている。完成以来100年近い歳月がたち、この部分が取り替えられることになり、24に分割された。そのひとつがここに展示されることになった。

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背景の桜は清春小学校時代、小学生が植えたものという。桜の季節はさぞ綺麗であろう。

こんなものもある。セザール作親指。親指は中世において幸運をもたらす象徴とされたそうである。

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実は、尾道に清春白樺美術館の姉妹館ともいうべき尾道白樺美術館があった。これは高層マンションが建設されることになったのを機に「尾道の歴史的景観を守る会」が設立され、その土地を買収。梅原龍三郎邸を模した美術館が建設され、展示品は清春白樺美術館から貸し出されていた。残念なことに、これは推測であるが、経営的に成り立たず、本年1月31日に閉鎖されてしまった。土地と建物は市に寄贈されたようである。

    

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2007年8月16日 (木)

睦沢学校

武田氏館西曲輪跡に、旧睦沢学校校舎が移築されている。
明治8年(1875)に睦沢村(現甲斐市の一部)に建てられた擬洋風建築で、重要文化財に指定されている。
擬洋風建築を奨励した県令藤村紫朗に因んで藤村記念館(ふじむらきねんかん)と命名され、教育資料館となっている。

松本市の開智学校、佐久市の中込学校などと同様、当時人々の教育に対する思いが伝わってくる。

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2007年8月15日 (水)

武田氏館跡

武田氏の館・躑躅ヶ崎館は、永正16年(1519)に武田信虎が造立したもので、信虎・信玄・勝頼の3代62年間に亘って武田氏の居館であった。
主郭・西曲輪・味噌曲輪・御隠居曲輪などが整然と配置されていたようで、堀・土塁に当時の面影をよく残している。

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     館跡の掲示板から

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    風林火山博展示品から

主郭大手門は東側にあり、現在三日月堀跡の発掘調査が行われている。

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        大手

主郭には大正8年に造立された、武田神社がある。
祭神は信玄、例祭は信玄命日の4月12日である。
勝運はもちろんであるが、信玄が治水・農工商振興に尽力したことから、産業・経済の神としても信仰されている。
武田神社建立にあたっては、三条実美が力を注いでいる。実美が信玄夫人三条の方の後裔だからである。
三条の方は藤原北家流の左大臣三条公頼の次女で、姉は管領細川晴元夫人、妹は本願寺11世顕如光佐夫人で、それぞれ時代の波に翻弄されたといえる。
三条実美は三条家伝来の吉岡一文字の太刀(重要文化財)を神社に寄進、武田神社宝物館で展示している。
なお、武田神社は主郭の南側から入るようになっていて、堀に橋が架かり、石垣が整備されているが、これは新しく造ったものである。
「人は石垣」というが、躑躅ヶ崎館跡に限っていえば、石垣は土留めに使う程度で、近世の城のような石垣は武田氏時代の館跡にはない。

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2007年8月13日 (月)

信玄公像

甲府駅前に信玄公像がある。昭和44年4月22日、信玄の命日に設置されたもので、御影石製の台上に置かれた、高さ3.1m、重さ5tの堂々たる銅像である。

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2007年8月12日 (日)

諏訪大社大祝家・神長家墓地

茅野市宮川高部の千代の宮墓地に、諏訪大社大祝諏訪家の墓地がある。
諏訪頼広が分家して諏訪大社大祝職に就き宮田渡に居住、この地に墓地を求めたので、守矢家の墓地であった千代の宮墓地を提供した。諏訪頼○という墓石が多数ある。

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神長守矢家は熊野堂墓地に移転した。熊野堂墓地には慶安3年からの代々の墓石がある。

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2007年8月11日 (土)

守矢家 祈祷殿

守矢家屋敷内に祈祷殿という建物がある。元は屋敷の東側にあったが、現在はかつて精進屋という建物があった西側に移っている。
解説板によると、守矢頼真が長坂筑後守に出した書状の中に、「殊更壬寅九月廿四日ニ御願書御越候 神長一人にて終夜御祈誓申候處其儘御祈祷相叶候」と記されている。これは神長守矢頼真が天文11年(1542)9月24日に、武田晴信(信玄)のために祈祷殿に籠って高遠頼継の率いる高遠勢の調伏を行ったことを伝えており、このように神長が祈祷殿に籠って祈祷調伏した記録は多数残されているとのことである。

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2007年8月10日 (金)

諏訪大社御頭祭

守矢史料館解説によると、諏訪大社祭祀の中心をなしたのが、神長官守矢氏が司った、前宮十間廊(まえみやじっけんろう)で行われた御頭祭(おんとうさい、現、酉の祭)で、春先神前に75頭の鹿をはじめ、魚、鳥、獣の肉を山のように盛り上げ、酒を献じ、かがり火に照らされながら神(ミシャグチ神)と人が一体となって饗宴を催したという。
守矢史料館には、天明4(1784)年3月6日に御頭祭を見聞した菅江真澄のスケッチをもとに、御頭祭の様子の一部を復元展示している。

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           耳裂鹿

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    兎の串刺しと焼皮

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       御贄柱

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2007年8月 7日 (火)

守矢家 御頭御社宮司総社

茅野市宮川高部の神長官守矢家の屋敷内に御頭御社宮司総社があり、ミシャグチ神が祀られている。中世古文書には御左口神(みさぐじ)とあるという。諏訪社の原始信仰として神長官が掌る神とされている。

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2007年8月 6日 (月)

守矢家

室町時代初期に編まれた「諏訪大明神画詞」に次のように記されているという。
出雲系の稲作民族を率いた建御名方命(たけみなかたのみこと)が諏訪に侵入し、洩矢神(もりやのかみ)を中心とする狩猟採集民族と対立、建御名方命が勝利して諏訪大明神となり、諏訪大社ができた。建御名方命の子孫である諏訪氏が大祝(おおほうり)という生神の位に就き、洩矢神の子孫の守矢氏が神長(神長官)という筆頭神官の位に就いたという。
現当主の守矢早苗氏は第78代。1代30年とすると2310年以上続いていることになる。

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                 守矢家
  

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2007年8月 4日 (土)

薙鎌

茅野市神長官守矢史料館の屋根を貫いている4本柱には、復元された鉄製の薙鎌(なぎがま)が打ち込まれている。これ自体が展示品である。
薙鎌は今でも御柱祭の時、上社の御柱に決定した柱には薙鎌を打って御神木になったことを表示しているという。また、諏訪神社を分社する場合、薙鎌を御神体として与えているという。元来は魔除けの鎌であったらしい。

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藤森照信の作品 2

③茅野市神長官守矢史料館
   長野県茅野市宮川高部
 諏訪大社の筆頭神主である神長官(じんちょうかん)に代々就いてきた、守矢家に伝わる古文書を始めとする資料を収納・展示する建物である。 1階が展示の場、2階が収納の場である。
 資料保存のため鉄筋コンクリート造りであるが、壁土を塗り木で覆い、鉄平石で葺いて、自然と調和させている。
 正面に屋根を貫いて4本の木が立っている。薙鎌(なぎがま)が打たれており、御柱を模したものであることは明らかである。
 窓から高過庵が見える。というよりおそらく窓から見えるように高過庵を建てたのであろう。

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2007年8月 3日 (金)

藤森照信の作品 1

7月31日~8月1日、甲斐・信濃へ小旅行をした。
その時目にしたものをいくつか。

まず藤森照信氏の作品
藤森照信氏はあらためて紹介するまでもないが、東京大学生産技術研究所教授、というより、建築史家、建築家として名高い。建築家としては歴史と自然環境に配慮した建物を製作している。

①茶室 高過庵
   長野県茅野市宮川高部の、生家の近くに建てた。
   茶室とは思えない外観をしているが、回りの自然環境に溶け込んでいる。
   子供の時の木の上の秘密基地をそのまま建築にしたように思える。
   ちょっと高過ぎたかなというので高過庵という名にしたとか。ほんと?

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②茶室 徹
  山梨県北杜市長坂町中丸 清春芸術村内
  高過庵と似ているが、こちらは桜の木に囲まれている。
  桜の季節になると花の中にいる気分であろう。

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藤森照信氏については下記を参照
http://tampopo-house.iis.u-tokyo.ac.jp/fujimori/f-keireki-fs.html

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