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2007年5月25日 (金)

さいたま市北区宮原町の瞽女資料

さいたま市北区宮原町に、「瞽女いの」の名を刻した石造物が2つある。両者の距離は約150m程である。瞽女いのがどのような人物であったのかは不明である。

1 さいたま市北区宮原町1丁目542番地辺

 中島弁天社

  板状石造物(長さ約95㎝、幅34.5㎝、厚さ12.5㎝)

  の側面に刻字。他の面は荒削り。用途不明

   嘉永五子三月 世 大谷茂左エ門 願主瞽女いの 組下三拾壹人

          話 同 喜平治         上州佐位郡

    下鴨宮村中 人 同 吉右エ門 横曽根村くみ  淵名村なつ

  *嘉永五年は1852年

   下鴨宮村=下加茂宮村、現さいたま市北区宮原町の一部

   横曽根村=現川口市の一部。一部は東京都北区浮間となった。

   上州佐位郡淵名村=現群馬県佐波郡境町の一部

    070525_022  070525_019

2 さいたま市北区宮原1丁目657 真言宗金剛寺境内

 熊野社

  左石灯籠(左右は社殿に向っての意)

  (竿正面)

    熊野十二社大権現

    稲荷大明神

  (竿裏面)

    安政五午年八月吉日(1858年)

  (基礎正面)

    氏子中

  (基礎右側面)

    金剛寺

     教明

    一金二朱

     瞽女いの

    一金一朱

     嶌村竹次良

  右石灯籠(左右は社殿に向っての意)

  (竿正面)

    熊野十二社大権現

    稲荷大明神

  (竿裏面)

    天保五甲午九月吉日(1834年)

  (基礎正面)

    大谷弥右エ門

    同 友右エ門

    同 幸左エ門

    同 周吉

    同 喜代治良

    同 平藏

    礒部儀右エ門

    大谷佐五右エ門

    嶋村清左エ門

    大谷繁藏

    同 栄藏

    同 源五郎

    同 源藏

  (基礎左側面)

    同 ちよ

  *左右灯籠は文様も同じであり、一対として建立されたものである。

     070525_002   070525_017  

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コメント

いのさんが率いていた瞽女組だったのでしょう。最盛期は北海道を除く全国各地に組があったそうです。
このような遺構を見るとどんな方でどういう瞽女社会をつくっていたのか知りたくなりますね。

12月のご紹介もありがとうございました。
ぜひたくさんの方々に瞽女唄にふれていただきたいものです。

投稿: | 2007年5月26日 (土) 08時05分

初めてお便りします。
ずいぶん前の投稿ですが、今日、横曽根村について検索をしていたところこちらのブログにたどり着きましたのでびっくりしました。
現在私は川口市で横曽根村の歴史をたどる会のメンバーとして
街歩きのための資料を集めています。
以前、文化財保護委員の方を招いて学習会をしたのですが、
住んでいた人の生活状況などは時間の関係で知ることができませんでした。
あの時代、瞽女として全国を廻っていた人がいたのですね。
このような情報を一つでも知ることができてとてもうれしいです。
ありがとうございました。私たちの活動を報告しているブログのアドレスを入れさせていただきました。よろしかったら覗いてみてください。

投稿: kerokero78 | 2009年6月17日 (水) 20時50分

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