« 初鹿野信興墓石 | トップページ | さいたま市北区宮原町の瞽女資料 »

2007年5月 1日 (火)

浄職院か城職院か

土呂村(さいたま市北区土呂町)に浄職院という寺があった。新編武蔵風土記稿には、「水光山神前寺と号す。新義真言宗、植田谷村林光寺末、阿弥陀を安す、」とある。明治5年に廃寺となり、現在は阿弥陀堂と墓地が残っている。阿弥陀堂には浄職院の本尊であった阿弥陀如来像が安置されている。墓地には旧土呂村の旧家の墓地が集中しており、土呂の歴史を知るには大事なところである。

新編武蔵風土記稿や武蔵国郡村誌には「浄職院」とあり、一般的はこの字を使っているが、この墓地内にある石造物は全て「城職院」となっている。
①宝暦13年(1763)の六地藏
②享和元年(1801)の「當寺住権大僧都法印義廣不生位」という墓石
そして
③昭和47年2月建立の「為城職院先師尊霊」とある線香入れ
である。

さてこれをどう考えるべきか。

|

« 初鹿野信興墓石 | トップページ | さいたま市北区宮原町の瞽女資料 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/122952/14918383

この記事へのトラックバック一覧です: 浄職院か城職院か:

« 初鹿野信興墓石 | トップページ | さいたま市北区宮原町の瞽女資料 »