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2006年10月 8日 (日)

上田村

明治8年の内務省の通達により埼玉県が編纂した『武蔵国郡村誌』大和田村の項に、「相傳ふ永禄三年信濃国上田の産島主殿尉此地に來り荒蕪を開拓し上田村と称す後天正十八年大和芋を徳川氏へ献せしより大和田村と称すと云ふと」とある。

大和田村文書の中で、寛文2年4月に領主である旗本伊達氏から出された文書(諸役免除)は宛先が「上田村 半右衛門方へ」となっている。
また、寛文5年7月に伊達氏用人宛に出した文書(起請文)は差出人が「上田村 弥次右衛門」になっている。
この他にも何通か上田村と書いた文書がある。
ただ、上記の寛文5年の文書の本文には大和田村と記されており、「大和田村」と「上田村」の関係がどうもわからない。

10月7日に上田市中央公民館で、長野県立歴史館上田公開講座が行われた。この講演の一つに、上田・東御・小県地域史連絡協議会長桜井松夫氏の「地名上田の誕生と成長の足跡」というのがあった。何かヒントが得られるかも知れないと思い聞きに行き、質問もしてみた。「永禄三年信濃国上田の産島主殿尉」等に関する直接の回答は得られなかったが、上田という地名は他にもあり、信濃国上田にとらわれず、上田村、上田氏等について調べた方がよいといわれた。なるほどと思った。

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