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2006年8月24日 (木)

宮原・宗像神社 文明十三年石祠

大宮郷土史研究会の田村氏から、文明十三年の石祠があったよといわれた。行ってみたらまさに文明十三年とある。

さいたま市北区宮原町4丁目13番地、旧道に沿って「天神橋 宗像神社」がある。中央に池(水はない)が掘られ、境内にはきれいに草花が植えられている。左奥に石祠がある。
屋根の部分が破損しているが、寄棟造だったように見える。台石を除いて、高さ35.2㎝、最大幅24.5㎝奥行最大10.5㎝である。正面は高さ21.5㎝、幅13.5㎝の部分が区画されており、そこに、「若宮八幡宮/稲荷大明神」と2行に文字が刻まれている。向って右側面に「文明十三辛丑年/八月十五日」と2行に刻まれている。文明十三年は、西暦1481年である。左側面には、「願主河鍋三右エ門」とある。
この地はかつての足立郡加茂宮村で、河鍋(川鍋)家は現在に続くこの地の有力者である。この石祠がただちに当時のものとはいいきれないが、大変貴重な資料である。

060824001w 天神橋 宗像神社

060824005w  若宮八幡宮/稲荷大明神

060824008w  文明十三辛丑年八月十五日

060824009w  願主河鍋三右エ門

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2006年8月21日 (月)

日進・金剛院石幢

8月20日(日)に、大宮郷土史研究会で、金剛院(さいたま市北区日進町1-758)の調査を行った。
下記の石幢龕部と思われるものは、かつては境内に置いてあったが、現在は本堂に安置されている。現状は、高さ19㎝、幅・奥行21㎝。安山岩製
四角柱、一区画。一面は尊名不詳の立像、他の三面には各2体ずつの六地蔵立像が陰刻されている。
同様のものが児玉郡美里町十条の、十条共同墓地にあるが、ほぼ完形で、龕部は四角柱、三面一区画に2体ずつの六地蔵立像が浮彫りされている。一面は素面である。基礎部に大永七丁亥(1527年)の銘がある。金剛院のものも同じ頃のものであろうか。

この金剛院石幢については、下記に報告されている。
1.『埼玉文化史研究』1号(1972.6)と2号(1972.8)に、「金剛院六地蔵石塔塔身」として、写真と青木忠雄氏による簡単な解説が記載されている。
2.『埼玉県中世石造遺物調査報告書』埼玉県教育委員会 平成10年3月25日(大宮市の調査員は青木忠雄氏)

060820140w  正面か。何の像であろう。

060820149w_2  上記を正面として、向って右面。六地蔵

060820146w  向って裏面。六地蔵

060820143w  向って左面。六地蔵

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2006年8月18日 (金)

区画整理事業推進にあたって文化財の保存を

8月8日に、掲示板「住み良い街 大和田の世界」に下記の投稿をしました。

採録します。

大和田1丁目東地区において、土地区画整理事業が進み、新しい住宅も建ち始めました。環境の良い住宅地が確保され、住民が増えるのは良いことです。ただ、心配なこともあります。文化財が失われ、あるいは移動する恐れがあるということです。例えば、大和田駅南交差点の角には、高さ2.2mの塚があります。この塚がいつ造られたのかはわかりません。頂上に、文化14年11月(1817)の「愛宕大権現」という石祠がありますので、その時にあったのは確実です。愛宕社は鷲神社に合祀されましたので、現在は信仰の対象にはなっていないようですが、大和田の歴史の上では大事な塚です。すぐ隣には阿弥陀堂がありました。現在はなくなりましたが、六地蔵にその面影を偲ぶことができます。これらのものは今ある所で次世代に引き継いでゆくのがわれわれ現代に生きる者の義務かと思います。区画整理事業の推進にあたって、ぜひ文化財の保存にご配慮いただきたいと思います。

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