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2005年7月17日 (日)

土呂村

土呂村は「3給地と天領」です。

土呂村は、天正18年(1590)にかなりの部分を初鹿野伝右衛門(河内守)〔元武田家臣〕に与え、残りは天領。

寛永2年(1625)伝右衛門の子供の代の時に弟の初鹿野次郎左衛門に領地の一部を与えることを許可され、これで2給地と天領。

さらに寛文元年(1661)に天領部分を伏見勘右衛門に与えこれで3給地。

その後享保13年(1728)見沼新田を開発(その土呂村部分が上・下土呂村新田)、これは天領、さらに宝暦年間(1751~64)寿能原を開発(寿能原新田)これも天領。

従って土呂村は時代によって違うが、享保13年以降は3給地と天領です。

3給地それぞれに村役人がおり、初鹿野本家(河内守)領の名主はほぼ新見家が世襲。

初鹿野分家(勘解由?)領の名主は交代制で田中家・小嶋家・吉田家等、

伏見家領の名主も交代制だったようで大野家等。

天領の上土呂村新田は勘右衛門組(宝暦6年(1754)以降平兵衛組:名主交代か)と久左衛門組、下土呂新田は孫三郎組と分かれおり、3給地の名主がそれぞれ兼務していた(新田には人がほとんど住んでいなかった)。

以上『大宮市史』第3巻中と第3巻下から。

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